宍道湖について
宍道湖の漁獲量の推移
昭和30年代までは、シジミの価格が低く、シジミ漁師の数も少なく、また、現在の漁場のほとんどが水草に覆われていたためシジミ漁が盛んにおこなわれて宇ませんでした。昭和40年代になると全国的にシジミが減少したため、宍道湖でシジミ漁が盛んになりました。また、昭和50年代になると、シジミを永くとり続けるために資源管理を強化して、生産の安定を図りました。
宍道湖の魚種別漁獲量
宍道湖の魚種別漁獲量 (41KB) 農林統計に公表している、宍道湖の魚種別漁獲量です。
ここに公表されている数値は、平成6年ごろまでは、統計調査員の方が集計されたのち、公表されていました。
平成16年までは、統計調査の資料を基に、漁協と協議の上公表しておりました。
平成17年以降は、漁協で集計し、公表しています。
そのため、集計方法の違いにより数値に差異が生じています。
ただし、宍道湖漁協には市場がありませんので、この数値はあくまでも推定の数量となります。 |
宍道湖シジミ漁業の漁業管理の変遷
宍道湖シジミ漁業の漁業管理の変遷 (17KB) 宍道湖のシジミ漁業の管理制度の変遷を示しています。
変遷の過程は下記の論文(高橋正治,森脇晋平:宍道湖におけるシジミ漁業の漁業管理制度.島根水技セ研報,2,23-29 2009)からも調べることができます。 |
宍道湖におけるシジミ漁業の漁業管理制度 (1898KB) |
宍道湖淡水化反対運動
戦前に農業用水確保のため宍道湖を淡水化する計画が提起されました。戦争で一時中断の後、戦後再び淡水化が計画され、昭和43年に工事がスタートしました。
しかし、昭和45年には減反政策が始まるなど社会情勢の変化の中、昭和56年に宍道湖はヤマトシジミの日本一の産地になりました。
ヤマトシジミは淡水化されると子供が生まれなくなり、やがていなくなってしまいます。また、その他の魚類も淡水化されると消えてゆく種も多く、水質もアオコの発生しやすい水質になってしまいます。
こうしたなか、昭和56年より宍道湖の汽水環境を守るため、地域住民と一体となって淡水化反対運動を行いました。
写真(左)は、宍道湖で漁船団を組み、淡水化反対のための漁船パレードの様子です。写真(中)は、東京に陳情団を派遣し、銀座で「日本からシジミ汁が無くなってしまう」と、シジミ10トンを無料配布した様子です。写真(右)は当時の農水大臣に、補償金の小切手をもって返還に出向いた様子で、これらのように懸命な活動を行いました。
さらに、宍道湖沿岸住民の半数以上が淡水化に反対の署名をするなど、地域全体で宍道湖を汽水湖として守っていく意識が醸成され、昭和63年に淡水化の延期が決定し、平成14年に淡水化計画は幕を閉じました。
ラムサール条約への登録について
ラムサール条約は水鳥の保護を訴える条約と思われがちですがですが、それだけではありません。
条文には「ワイズユース」の重要性が説かれています。「ワイズユース」は「賢明な利用」のことであり、恩恵を人間が永続的に利用していくという概念です。この「賢明な利用」に、漁業も含まれています。
昔ながらの漁法により、資源を維持し、資源の保護を行っていくという宍道湖の漁業はまさに『賢明な利用』なのです。